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三菱重工工事技報 VOL.3 より

3-1

本年10月で当社設立満25年になる。当社が発足した昭和47年は、その前後にドルショック・オイルショックを挟み、それまで高度成長で経済大国となった日本が大きな節目を迎えた時期に当たる。以後の四半世紀で内外の情勢、国際的な立場などは当時からみると大きく変貌している。《中略》当初は三菱重工からの工事のみでスタートしたが、昭和50年代からは官公庁からの元請けとしての受注や民間からの直接受注にも注力、現状約3割が外販となっている。年間の生産高もスタート時の約70億円から、平成7年度には300億円台に伸びた。今回の特集では橋梁などの主要製品の歩みをそれぞれ別稿で述べるので、ここでは以下、機種横断的な見方で製品の動向・その施工技術の歩みについて概説する。
3-2 もともと長大橋の架設技術の向上・体制強化が当社設立の1つの大きな目的であった。そして目標とする最大のプロジェクト・本四架橋は、一次延期されたものの昭和50年代前半に本格着工、昭和60年前後に第一次の工事のピークを迎え、昭和63年にDルートが開通した。更に平成に入って、吊橋・斜張橋で世界最大のスパンを誇る明石海峡大橋・多々羅大橋を含む、残る2ルートの工事が進み、その完成を控えて現在第二次のピークになっている。《中略》近年、鋼橋建設事業を取り巻く環境は大きく変わりつつあり、我々が新たな対応を求められている事も考え合わせる時、顧みて当社の歩んだこれまでの25年は、かつてない長大橋建設時代であり、他のプロジェクトとともに橋梁の架設技術を磨く多くの機会に恵まれた時期との思いを強くする。
3-3 煙突は橋梁と並ぶ当社の主力機種で、当社発足当初の昭和50年前後は売上げで橋梁を上回る時期もあり、現状も20〜25%を占めている。三菱の鋼製煙突は既に昭和30年代からトップメーカーとしての地歩を築き、昭和40年代には火力発電所の建設ブームと公害防止のニーズから、超高煙突の新設が相次ぎ、年間、最大40基という実績も挙げている。しかし当社発足の昭和47年は高度成長に終止符を打つ、日本経済の大きな変換期に当り、(因みにこの年の煙突の実績は9基)これ以降、電力関連やごみ処理等環境装置等も含めて根強い需要はあるが、煙突製品も成長期から成熟期へ、多様なニーズに応える質の時代へ、更にグローバルな競争時代へと推移する。このような背景のもとで、この25年、更に技術の研鑚を積み重ね、型式も多脚型、鉄塔型から鋼製美観型煙突と多種のタイプによる数多くの実績をあげてきた。
3-4 近年原子力発電所、大型火力発電所の運転に伴い、夜間に生じる余剰電力を利用した揚水発電方式が開発され、山間各地に揚水発電所が建設されるようになり、その規模も年を追う毎に大型・大容量化して来た。水圧鉄管もこれと平行して高落差・大口径・大容量へと推移している。当社発足と年を同じくして開始された九州電力大平発電所の水圧鉄管工事は、我が国で初めてHT80鋼を本格使用した大型工事で、以後、水圧鉄管はHT80鋼が主流となり、当社はトップメーカーである三菱重工との連携で多くの大型水圧鉄管の施工に携わってきた。《以下略》
3-5 わが国の利水面では、産業経済の発展と生活水準の向上に伴い、水の需要は上昇の一途をたどっており、水による災害に対する治水面とあわせて、長期計画に基づきこれまでに多くのダム・堰が建設され、効果をあげて来た。これらのダム・堰に設置される取水・放流などの水門設備も、この間に種々新しいものが開発され、技術の進歩は著しいものがある。これらの設備には水門そのものの高性能化とともに、完成後の管理面でも、例えば雨量データなどの情報と連動した適切な操作など、地域社会や自然環境へのきめ細やかな配慮が社会的に大きな要請となっている。更に耐久性や美観などのニーズもあって、水門設備の構造・機構・材料・性能も変化し、大型化も進んで来た。ここでは主な施工技術の移り変わりについて述べる。
3-6 当社における橋梁補修・補強工事は、会社発足以前の機能維持のための補修を中心に始まったが、今日では、それだけに止まらず性能向上、環境保全、社会情勢、震災等々多岐にわたる理由により、橋梁補修・補強工事が大幅に増大且つ複雑化している。ここでは、当社25年の橋梁補修・補強工事の施工実績をベースに内容推移と将来予測、メンテナンス技術について記載する。
3-7 平成7年1月17日未明に発生した兵庫県南部地震は、阪神地区に壊滅的な被害をもたらした。中でも高架橋として市街地を走る自動車専用高速道路の被害は想像を絶するもので、耐震設計されていたはずの橋がこんなにも脆いものかと技術者として信じがたいものであった。その様子は当時、新聞・テレビ等で大きく報じられた通りである。《中略》復旧内容は多岐にわたり、本特集では紙面の制約もあってそれらの内容全てを報告することは出来ないが、各路線の本格復旧工事のうち、特徴的な工事内容のものに絞って要点を報告する。
3-8 神戸線の第19工区は神戸市東尻池町から同市刈藻町までの全長473.5m全17径間(連続桁4連、3径間連続桁1連、鋼製脚5基、コンクリート脚12基)の高速道路である。地震による落橋、倒壊はなかったが、鋼製脚の座屈、コンクリート脚の破損、沓及び主桁端部の損傷等々大きな被害を受けた。復旧は阪神高速道路公団の復旧仕様に基づいて行われたが、複合梁による脚の再構築、免震支承の採用、落橋防止の強化、沓座の拡幅等の新たな耐震対策が取り入れられた。ここでは復旧工事の中で特徴的な複合構造橋脚の架設について報告する。
3-9 神戸市東灘区深江地区のピルツ構造で建設していた18径間のRC橋梁が震災により全長635mにわたって倒壊し、報道等により広く知られるところとなった。復旧に当っては、震災前には上部工と下部工とが一体構造であったものを、上部工と下部工に分離した一般的な構造とした。上部工は9径間連続鋼床版2箱桁2連(4,559t)として軽量化した。支承は地震時の減衰効果を高めるために免震支承を採用した。以下に、この18径間の上部工(総鋼重5,420t)の再構築桁を設計・製作・現地施工との総力結集により、材料発注から1年余りで供用開始した復旧工事の概要について述べる。
3-10 東神戸大橋は、中間径間485m、全長885mの3径間連続ハープ形ケーブル及びワーレントラス主構を有する鋼斜張橋である。両側径間の端橋脚には常時約690tf、中間橋脚には約1260tfのアップリフトをペンデル支承で受けていた。ウィンド支承の破損に起因して、端橋脚ペンデル支承部のペンデルピンが脱落し、主構端が約400mm跳ね上がった。その他ベーンダンパー支承の破損及び橋脚のウェブせん断座屈等が見られたが、ここではペンデル支承の復旧方法について報告する。
3-11 西宮港大橋は、甲子園浜と西宮浜を結ぶバスケットハンドル型ニールセンローゼ橋(支間長252m:幅員31.234m〜27.277m)で、この種の橋梁としては世界有数の規模を誇る。5号湾岸線は平成2年の道示に基づき設計されていたことから比較的軽微な損傷であったが、本橋自体の動揺により隣接の単純桁が落橋した。本橋の被災内容は1.支承の損傷、2.ケーブル定着部のシムプレート脱落、3.耐震連結装置取り合い部損傷、伸縮継手損傷。以下に復旧工事の主な概要を述べる。
3-12 建設省近畿地方建設局兵庫国道工事事務所管内の浜手バイパス復旧工事について紹介する。当社の受け持ち工区には、アンカーフレーム・鋼製橋脚・鋼桁の撤去・運搬・陸揚げ・解体・製作・輸送・架設および鋼製橋脚の補修・補強等があった。この施工法としては、200t吊りトラッククレーン相吊りによるものから、2000t吊り級の大型起重機船による海上からのものとがあった。またアスファルト舗装・RC床版の切断・撤去等の工事は、短期間に多工種を投入したことと、工場の製作工程短縮の努力により、客先要望の開通に間に合わせることができた。
3-13 《前文略》六甲大橋は、六甲アイランド住民の生活道路であるので、工事のための交通閉鎖は許されず、全ての復旧工事は、上下各3車線のうち2車線のみを規制し、1車線は供用下の状態で施工した。したがって、震災直後から一日も交通閉鎖する事なく復旧工事を完了させることができた。ここでは、その工事の中で支承の取替えと橋体縦移動及び橋門構の取替えについて報告する。
3-14 《前文略》灘大橋は、他の大型橋梁に比べて、被災程度は比較的軽かったものの、狭いボックス内での張力調整作業は困難を強いられたが、何とか予定工期内に復旧工事を完了できた。ここではケーブル取替工とケーブルの張力調整について報告する。
3-15 灘浜大橋は、平成4年に完成した橋長400m、鋼重6,000tのV脚ラーメン橋である。被災の程度は、橋脚基礎のケーソンが移動したため、橋軸方向にあっては支間長の変化が見られた。また橋軸直角方向には橋全体が海側に移動したため、本橋と隣接桁との間に平面的な桁横ずれが発生して支承、伸縮継手、耐震連結装置等に損傷が見受けられた。1.支間長の変化、2.隣接桁との桁ずれ、3.支承の損傷など
3-16 《前文略》神戸大橋取付け道路復旧工事は、平成7年6月より開始された。しかしこの区間の復旧作業は難工事が予想され、開通までに長期間を要すると判断した神戸市では、その間のポートアイランドと三宮川との交通を確保するため、第三突堤と第四突堤の間のの海上に仮桟橋を設置した。この仮桟橋設置工事も当社で実施した。復旧作業は下部工や第四突堤の土木復旧工事との混在であり、隣接して神戸市新交通が走っているという悪条件の中で行われた。平成7年7月に工事は開始され、併用再開となった平成8年8月末まで、文字通り昼夜の突貫工事となった。この区間には復旧工事として各現場で行われたほとんどの施工法が含まれているが、ここではその中からRC橋脚の鋼製化について報告する。
3-17 摩耶大橋は、昭和41年に完成した1面吊りの斜張橋である。港湾幹線の第二摩耶大橋に隣接して架かっており、摩耶埠頭と新港第8突堤を直接結ぶ連絡橋である。阪神大震災により大きな被害を受けたが、機敏な補修作業によりその復旧は非常に早く、震災から6ヶ月後の平成7年7月には開通した。復旧方法としては、斜張橋の主塔、ケーブル、RC床版等を含めた総自重約2200tの橋桁を、一体のままの状態でフローティングクレーン(FC)によって撤去するという、これまでに類例のない工法を採用した。これが短工期の復旧を可能にした大きな要因である。撤去した橋桁は台船に載せて六甲アイランドへ運搬・陸上げし、補修後、逆手順で再架設した。以下に被災概要と一括撤去を主体とした復旧について述べる。
3-18 西宮大橋は、西宮地区埋立地と市街地を直結するために昭和50年に建設された。その西宮大橋が地震により、橋脚2基の崩壊を伴う被災を受け通行不能となった。上部工は支承の崩壊と橋脚の崩壊による全体的な曲がり変形と支承部が局部座屈する被害を受けた。ここでは、座屈した下フランジのカバープレート方式による補強、免震支承への取替え、大きく変形した桁の位置修正要領について報告する。
3-19 神戸新交通ポートアイランド線は、神戸市の中心街三宮〜ポートアイランド(約6.4km)を結ぶ地域交通の中量輸送軌道としてポートアイランドの居住者、在勤者にとって重要な役割を十分に果たしていたが、震災による大被害を受けて不通となった。しかし長期間の不通は地域にとって大きな影響を与えることから一日も早い復旧が望まれた。復旧に当っては、連日深夜に至るまで復旧方針の協議を重ねつつ、昼夜兼行で施工を進めた。比較的被害の小さかったアイランド内の島内周回運転を平成7年6月5日から、同じく7月31日には中公園駅〜埠頭駅の折り返し運転を、そして被災から196日目の平成7年7月31日に全線が開通した。ここでは全線の復旧工事の中で特徴ある箇所を報告する。
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